沖大東島

「鉄道廃線跡を歩く10・完結編」(JTBキャンブックス/宮脇俊三編)をようやく手に入れたので、読みふけっていたら、なにやら面白い記述を発見しました。
それは「北大東島東洋製糖燐鉱専用軌道」の章だったのですが、沖大東島、通称ラサ島で燐鉱を採掘していた会社がその後「ラサ工業」になった…というのです。いつも通勤で走っている三本木町の国道4号線沿いに「ラサ工業」の工場があるので、会社名は気になっていたのです。「ラサ」ってなんだろう?って。でも、まさか「ラサ島」と関係があるとは思いませんでした。

さっそくラサ工業のホームページを見てみましたら…「社名の由来」というページがあるではありませんか。
http://www.rasa.co.jp/k_island.htm

当社の社名は、90年以上遡る明治40年(1907年)に何の変哲も ない南海の無人島であったラサ島でリン鉱石を採掘したことに由来します。 ……明治33年に日本の領土であることを正式に表明してからは、公式には「沖大東島」と称されます。 一般には「ラサ島」という通称で呼ばれるこの島が、時代の脚光を浴び るようになったのは、創業者であり、当時農商務省肥料砿物調査所初代所長を務めた恒藤規隆らの不屈の探検によるリン鉱石の発見から始まりました。 以来、ラサ島は肥料の原料となるリン鉱石の国内唯一の産出地として、往時には2千人の在島者を数え、戦前の農業生産上の重要な拠点となっていました。

へぇ~。

さらに、このページをみてびっくり。

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「1937(昭和12年) 4月   ラサ島を国より譲り受ける」とあります。
沖大東島は、ラサ工業の私有地だったんです。
現在は米軍の射撃場になっているので、きっと防衛施設庁から賃貸料をもらっているのでしょう。

ちなみに「ラサ島」の「ラサ」については意味がわかりませんでした。1807年(文化4)に、フランス海軍の軍艦カノニエル号が、沖大東島を視認し「ラサ島」と命名した、ということまではわかったんですけど。

http://vill.kitadaito.okinawa.jp/docs/kdaito_history.pdf

2ちゃんねる「離島・トロピカル系板」の「沖大東島スレッド」に、「ラテン語かなにかで平ら(な島)」という意味だという書き込みがあったので、そんな感じなんでしょう。きっと。

6年前に行った南大東島の、あの紺碧の海を思い出して、また行きたくなってしまいました。
ラサ島には行けないので、せめて北大東島・南大東島に。

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