ロンドンの同時テロから数日が経ちました。
無差別に市民を殺りくして、不安をあおるテロ。
戦争もテロも絶対にあってはならないと思います。
人間が殺しあうということは、人間の否定につながります。
私は、楽しく、幸せに、好きな人と一緒に、好きなことをやって生きていきたいのです。自分の好きな人も、幸せでいてほしいのです。それを否定されるなんて、絶対に許しません。それだけです。平和運動ってそういうものです。
ちょっと前にお話しする機会があった三上満氏から、宮沢賢治の『二十六夜』を紹介されてから、あちこちで吹聴しているのですが、賢治がフクロウの坊さんに語らせた言葉が、今、とっても重みを持っていると思うのです。「テロ」や「戦争」にどう「理性」で立ち向かうか、を考えるひとつのテーゼです。
…「穂吉」というフクロウの子どもが人間の子どもに捕まり、放されはしたものの、足を折られて瀕死の重傷を負ってしまいます。大人のフクロウたちはいきり立ち、火のついたワラを運んで人間の家を焼き打ちしようとか、人間の赤ん坊の頭を突いてやれとか言い出します。
それを聞いていたフクロウの坊さんがこう諭すのです。
「いやいや、みなの衆、それはいかぬじゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。こなたの胸が霽れるときは、かなたの心は燃えるのじゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるじゃ、この身終って次の生まで、その妄執は絶えぬのじゃ。遂には共に修羅に入り闘諍しばらくもひまはないじゃ。必らずともにさようのたくみはならぬぞや。」
(宮沢賢治『二十六夜』より)
『二十六夜』は、この文庫↓ に収録されています。
岩波書店
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詩人の魂
編集が古すぎ!!
優しいセロのような声の持ち主、ブルカニロ博士とジョバンニの会話
童話としては難解すぎる