新聞を読んでいたら「ビクトル・ハラ」という単語が眼に入ってきました。私が敬愛してやまない、ビクトル・ハラが今年で没後35周年を迎えるということで、世界各国でイベントが開かれる、という記事でした。
ビクトル・ハラは、中南米を代表するシンガーソングライターです。
数々の大賞を受賞し、チリの若い潮流を代表する存在であったビクトル・ハラは、歌を通じて社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」運動のリーダーとして、チリ国内にとどまらず世界各国で多くのファンを得ていました。
1973年9月11日(この日はくしくも、あの「9・11」と同じ火曜日でした)、民主的なアジェンデ人民連合政権がピノチェットの指揮する軍事クーデターによって倒されます。ビクトル・ハラは、音楽によって人民連合政権を支えてきたリーダーとして、その日のうちに軍に逮捕され、チリ・スタジアム(民政復帰後、「ビクトル・ハラ・スタジアム」に改称された)に拉致され、逮捕から4日目、拷問の末、虐殺されます。
彼の最後を伝えるエピソードは、以下のようなものです。
ピノチェットの軍によって拘束され、スタジアムにかりたてられ、そして突然の暴力に打ちひしがれた仲間たちを元気づけるため、ビクトル・ハラはギターをとって歌いだします。歌は人民連合のテーマソング『ベンセレーモス』。
ピノチェットの兵士は彼をなぐり倒し、ギターを取り上げますが、ビクトル・ハラは今度は手拍子で歌い続けました。激怒した兵士は、彼の両手を銃の台尻で叩き潰したうえで、彼のからだに40発以上の銃弾を撃ち込んだのです。
兵士はこう叫んだといいます ―― 「これでも歌えるものなら歌ってみろ、このろくでなしが!」
愛を歌い、平和と平等を願い、そして不正を訴え、そのむくいとして虐殺されたビクトル・ハラを、私は忘れることが出来ません。そして、ビクトルを愛してきたチリの人々が、軍政を倒したのちに、あの忌まわしき事件が起きたスタジアムに彼の名前をつけた、ということにも敬愛の念を深めました。
必ずサンチアゴに行く、それが私の大学時代からの夢です。
今年の9月11日、東京で「もうひとつの9・11」というイベントが行われます。
サンチアゴには行けませんが、有楽町にはぜひ行ってみたいと思います。
実はこの会場であるよみうりホール、今回のイベントの出演者である横井久美子さんの歌声で、初めてビクトル・ハラの「アマンダの思い出」を聴いた、まさに思い出の場所でもあります。
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共産主義は解放か?抑圧か?
コメント
これがお勧めです。
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from USとなっていますが、原産地はアルゼンチンだったと思います。USの販売業者経由という意味では「from US」です。
歌詞はありませんが、制作年代順に並んでいるので、時代背景とともに聴くことができます。
9.11イベント、私も行きたいのですが、こちらは関西なので、関西方面のイベントに期待してます。ではどうも。
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アタロウ さん >
ありがとうございます。さっそく手に入れます!!