63年

昨日は説明するまでもなく、長崎に原爆が投下されてから63年目の日でした。

広島にも長崎にも、数え切れないほど行きましたが、初めて原水爆禁止世界大会に参加したときの衝撃は、今でも忘れることができません。

自分に「想像力」の大切さを教えてくれたのは、ヒロシマ・ナガサキです。
以来、「想像力」と「感性」について、いろんなところで口泡とばしているわけですが、そういう意味では自分の哲学を形作ってくれたのが、ヒロシマ・ナガサキだったといっても過言ではないと思います。

広島・長崎に言ったことのない方は、大切な人と一緒に、8月6日・9日にぜひ訪れて欲しいです。そして一緒に「想像力」と「感性」について話し合ってください。

家族みんなで、食事しながらそんな話をすることがとりあえずの自分の夢です。

▼広島でかつて拾った(採取した)「原爆瓦」
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コメント

  1. むーん より:

    おばんです。
    私も、広島での慰霊祭のことが忘れられません。
    原爆投下時刻の黙祷のときに、あんなに鳴いていたセミの声や人々の気配さえも消え(たように感じた)・・・、怖くなって目を明けて回りに知り合いがいることを確認してしまいましたっけ。
    “安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから”
    戦争は、悲しいです。
    戦争は、罪の無い人々の暮らしを一瞬で“無”にしてしまいます。
    戦争は、人間を人間でないものにしてしまいます。
    どんなに、たいそうな理由をつけたって、戦争は、解決策にはなりません。
    ヒロシマ・ナガサキ、沖縄。
    毎年8月は、平和について考えさせられます。

  2. billancourt より:

    むーん さん >
    戦争を起こすのも人間です。
    しかし、戦争をとめることが出来るのも人間です。
    人間として、悔いなく生きていきたいです。

  3. billancourt より:

    むーん さん >
    戦争を起こすのも人間です。
    しかし、戦争をとめることが出来るのも人間です。
    人間として、悔いなく生きていきたいです。

  4. たまぱんだ より:

    川原で拾った「原爆瓦」。
    今、私の手元にはありませんが、実家の母が大切に保存してくれています。
    何をすれば人は戦争をしないのか、何をすれば人は傷つけあうことをしないのか。
    いつになれば、本当の平和がくるのだろうか?
    ・・・私は、何をすればいいのだろう。

  5. billancourt より:

    たまぱんだ さん >
    「原爆瓦」は私の平和への思いの原点です。
    私はこの瓦をいつもいろんな思いでみつめています。
    死ぬ間際に後悔することのない人生を送ることが、本当の平和につながると思います。平和運動とは、人間が人間らしく生きるための運動ですから。

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