有罪のアントニム

某紙のコラムを読んでいたら、ちょっと興味を引かれることが書いてありました。

5月21日から始まる、裁判員制度の話。
市民が刑事裁判に加わるという裁判員制度について、ヘンリー・フォンダの『12人の怒れる男』を引き合いにだして、訴えていたのですが、その中に、大城聡弁護士の話として紹介されていたこと。

アメリカでは、子どもに学校で刑事裁判について教える。

たとえば「guilty (有罪)の反対は?」

答えは「innocent(無罪)」ではない。「Not guilty(有罪ではない)」だ。

これは刑事裁判というものを一言で表しています。
つまり、合理的な疑いをもたれないほどまで、検察官が証明できなければ「有罪ではない」、というわけです。逆に、疑わしい部分が一つでもあれば、それは疑いがなくなるまで追求しなければならないのです。
もし、自分が裁判員になったときには、そういう対応が求められるんですね。

なるほど。この考え方、とてもフィットするな。
「クロ」の反対は「シロ」、だったら、「シロ」でないものはみんな「クロ」になっちゃう。「クロ」か「シロ」かの二者択一なんていうのは、この世の中ではありえないもの。
だから「クロ」の反対は「クロではない」、ってすごく気持ちがいいな。人間関係なんて、「グレーゾーン」を認めるから付き合えるわけで、それを全部「クロ」か「シロ」か、って言われたら生きていけないもの。

いろんな人がいれば、自分の周りの人間がみんな「好き」になれることなんてありえない。
でも、「好き」の反対は「嫌い」、ではなく「好きではない」。
それなら、認め合える気がします。「嫌い」って言われたら、そこで終わりだし。

これ、しばらく言い続けよ(笑)。

さて、「有罪の反対は?」という質問を見て、太宰治を思い出した人は私の同類(笑)。

「罪のアントニム(対義語)」って、結局何なのでしょう…。

Line054


「罪。罪のアントニムは、何だらう。これは、むづかしいぞ。」
 と何気無ささうな表情を装つて、言ふのでした。
「法律さ。」
 堀木が平然とさう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆れかへり、
「罪つてのは、君、そんなものぢやないだらう。」
 罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらゐに簡単に考へて、澄まして暮してゐるのかも知れません。刑事のゐないところにこそ罪がうごめいてゐる、と。


……

「……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ。」
「冗談は、よさうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない。」
「悪と罪は違ふのかい?」
「違ふ、と思ふ。善悪の概念は人間が作つたものだ。人間が勝手に作つた道徳の言葉だ。」
「うるせえなあ。それぢや、やつぱり神だろう。神、神。なんでも、神にして置けば間違ひない。」


……

「君には、罪といふものが、まるで興味がないらしいね。」
「そりやそうさ、お前のやうに、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ。」
 死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処かで幽かな、けれども必死の抗議の声が起つても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思ひかへしてしまふこの習癖。
 自分には、どうしても、正面切つての議論が出来ません。焼酎の陰鬱な酔ひのために刻一刻、気持ちが険しくなつて来るのを懸命に抑へて、ほとんど独りごとのやうにして言ひました。
「しかし、牢屋にいれられる事だけが罪ぢやないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるやうな気がするんだけど、……神、……救ひ、……愛、……光、……しかし、神にはサタンといふアントがあるし、救ひのアントは苦悩だらうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ。」

太宰治『人間失格』より
(筑摩書房「太宰治全集」第9巻P.490~492)

コメント

  1. じなん より:

    読んだ読んだ(^O^)/
    読んだよ~v(^-^)v

タイトルとURLをコピーしました