土曜日の昼下がり、仙台で、映画「ドレイ工場」上映会というのを行いました。
行ったのは私ではなく(笑)、みやぎ青年ユニオンの皆様。
元青年の私も、一部口出し&お手伝い要員として参加しております。
映画「ドレイ工場」は完成してからすでに40年以上たちます。
収入格差と地域格差、ワーキングプアといわれる労働者を生みだし、長時間労働、ただ働き…と働く人々が追い込まれている現在は、40年前の「ドレイ工場」の時代とそれほど変わっていません。(主催者あいさつより)
もちろん、条件は変わっていますけど。
やっぱり、「闘う」っていうのは、変化を起こすための基本的行動なわけです。
「闘わなければ変わらない」ということの意味を、この映画を観ると実感します。
同時に、「闘う」ことの意味や「闘う」ために必要なこともよくわかります。
仲間を信じる。
あきらめない。
仲間の輪を広げる。
わかるまで話しあう。
理不尽なことには徹底的に抵抗する。
映画では、闘いの結末は描かれていません。その理由は、映画上映時はまだ争議が続いていたから。
この映画のモデルとなった、東京・江戸川区の日本ロール製造(株)。←映画では「関東鉄工」
低賃金と過酷な労働条件で、賃金は完全な出来高払い。固定給なしの全請負制。社員寮内では6名以上集まることは禁止…。実際の話だそうです。
そして映画にも描かれた青年労働者の労災死亡事故。
こんな「ドレイ工場」をなんとかしたいと立ち上がった5名の労働者によるひそかなオルグ・労働組合加入活動が始まったのは1960年。そして、1962年10月、全金日本ロール支部結成。しかし翌日、職制中心に第二組合結成。
そして1963年2月、33名の組合員に対する不当解雇攻撃。
さらに会社は暴力団員70名を「臨時守衛」として雇いいれ、鉄棒を持たせ、職場内をうろつかせます。
そして、スト破り就労に対する第1組合員150名のピケ闘争に対し、小松川警察署は機動隊220名で襲い掛かり、組合員多数が大怪我。そして組合員の不当逮捕。会社は組合排除のために、平気で暴力を行使したのです。
~ 映画でこのシーンを見たとき、「蟹工船」で海軍がやってくるところとダブって見えました。
~ ただ、映画より、映画の原作となった「東京争議団物語」の方が生々しいです。
そんな闘争の中で、闘争勝利の武器として映画を制作したのが、この「ドレイ工場」。
だから結末は描かれていないんです。
全員の解雇撤回で勝利したのは1971年9月。つまり映画上映の4年後です。
しかし、再び組合員全員解雇。…懲りない会社だ。
1973年12月、原職復帰を勝ち取る勝利。そして1974年1月21日、ようやく職場復帰を果たし、13年の闘争を勝利で飾ります。
※実はこれで終わったわけではなく、委員長の就労拒否が長く続いたのだそうです(これは、当日ゲストで来てくれた現・日本ロール製造支部の川田書記長から聞きました)。
40年前の「ドレイ工場」を見て、「こんなのうちの会社もほとんど一緒」という若者も。
「ドレイ工場」が、40年後、全国に広がり、一般的になっている現実。
でもそれを変えるための「闘い」の方法を、40年後の今は学べるのです。歴史を学ぶことの大切さ。
「日本ロール闘争」を学んで、全国に広げ、一般的にしようじゃないのさ。「闘う」ことでしか変化は生まれないのだから。
もちろん、それには前田吟が演じた谷山のように、何があってもへこたれず、歯を食いしばり、前述したように仲間を信じて信じぬく、強い心が必要なのですけど。それも歴史に学びましたよ。
そういえば、日色ともゑ、かわいかった(笑)。
この映画公開と同時期に、NHKの朝ドラのヒロインやってたんですね。これにはびっくりしました。
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