宮城県内の「戦跡」(戦争遺跡)について、とある機関紙に原稿を書いて欲しい、という依頼を受けました。
依頼を受けたのは先月だったのですが、気付いたら締め切り過ぎてまして(汗)、取材もろくにできていないので、特に取材なくても書ける身近なところで妥協してしまいました。
…こういう仕事の仕方は大変よろしくない。自省。
さて、そのターゲットは、仙台市宮城野区の榴岡(つつじがおか)公園。
東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、クリネックススタジアム(県営宮城球場)に程近い都市公園。仙台の人には、お花見のメッカとして親しまれている所。
この榴岡公園。元々は旧陸軍第二師団 歩兵第四連隊の駐屯地でありました。
その公園内にある「仙台市歴史民俗資料館」は、現存する宮城県内の最古の洋風木造建築物であり、仙台市有形文化財に指定される由緒ある建物。一目見れば曰くありげな建物だとすぐわかります。
この建物は旧第二師団・歩兵第四連隊の兵舎だったもので、「軍都仙台」を象徴する建物なのです。
仙台市に歩兵第四連隊が設置されたのは1875年(明治8年)。
西南戦争を皮切りに、日清・日露戦争、第一次世界大戦およびシベリア出兵、そして満州事変に始まる「十五年戦争」と、常に侵略戦争の前線に従事した部隊でした。「十五年戦争」での日本軍最初の戦死者は、この第四連隊から出たといいます。
そして、太平洋戦争ではアジア太平洋戦線を転戦し、ガダルカナル島への第2次総攻撃に派遣されています。その後はビルマ戦線に参加し、サイゴンで終戦を迎えます。
終戦後、米軍が駐留し「キャンプ・ファウラー」となります。
1956年に返還されてからは、1975年まで宮城県警察学校として使用されました。
その後、公園整備に伴い、最後まで残っていた旧兵舎のうち1棟を現在地に移築・復元保存したものが、現在の建物だそうです。
仙台市歴史民俗資料館は、仙台市周辺の明治時代以降の農家や町場の生活など庶民のくらしの資料を中心に展示している資料館です。また、第四連隊当時の兵舎内の様子を復元展示し、「平和のための戦争展示」として、軍事資料とあわせ、戦争と庶民のかかわりを示すさまざまな戦時関連資料を紹介しています。このコーナーを常設していることが特色の一つとなっています。
写真撮影のついでに、久しぶりに見学してきました。
平日の夕方とあって、見学者は誰もいませんでしたが、ここの展示、特に特別展示は非常に素晴らしいものがあり、自分が大学の卒論のテーマに取り上げた沖縄県名護市の名護博物館を髣髴させます。
見学後、ロビーで楽しそうなものをいくつか発見。購入してきました。
一つは「ガイドブック 仙台の戦争遺跡 2008」(編集・発行:仙台市教育委員会・仙台市歴史民俗資料館)。自分の知らない遺跡も多数掲載されており、今後の活動のガイドブックとして役に立ちそうです。
そしてもう一つは完全に趣味ですが、1933年(昭和8年)に発行された「大日本職業別明細図・宮城県仙台市」という地図の復刻版です。これを「読み」出すと夜更かし必至です。
さて、公園内に今なお残る当時の遺跡をもう一つ紹介。
公園の入口に大変大きな「歩兵第四連隊之跡」と書かれた石碑が建っているのですが、その傍らに残っているのがこの標柱です。道路側から見ると、何も書かれていないただの標柱なのですが、芝生側に回り込むと、そこには「陸軍省所轄地」の文字が。第四連隊の敷地境界に建てられていたものだそうです。